第12話 足利義秋と越前に行こう

ガラシャ

さて近江で隠れてる足利義秋のとこに到着した光秀ですがその後の活躍を教えてください!!

憲三郎先生

結果的に足利義秋の軍と合流した光秀は足利義秋の部下である細川藤孝に仕えることになります。

ガラシャ

あれ?使者とか案内役じゃなかったんですか?なんか自兵に組み込まれちゃってますけど。

憲三郎先生

朝倉義景と足利義秋のやりとりの史料があまりないのでなんとも言いがたいのですが、足利義秋が支援要請をした後永禄8年8月14日に朝倉氏は匿いますよとお返事を出してます。

ガラシャ

だから光秀が近江にお迎えに行ったんですよね。

憲三郎先生

そうですね。朝倉義景が足利義秋に道案内も含めて縁のある人間を送るのでと光秀を送ったと思われます。そして、永禄8年12月5日に織田信長が足利義秋へ上洛の打診をします。

ガラシャ

あれ?話が入り組んできました。

憲三郎先生
ガラシャ

となると到着時期が気になりますね。光秀はいつ頃近江に到着したのでしょう?

憲三郎先生

それが残念なことに到着時期がわかる史料がありません。

ガラシャ

ん~なんてことでしょう。

憲三郎先生

しかし、すぐに越前に出発していないので光秀が到着した頃には織田信長との協力は決定していた可能性が高いと思います。

ガラシャ

それで越前に向かわず近江に滞在することになるんですね。近江の甲賀和田惟政のところにいたんですか?

憲三郎先生

そうですね。一度和田城に入り矢島御所を本拠地とします。甲賀和田惟政の居城である和田城は今でも甲賀市甲賀町に城跡が残っています。琵琶湖の南側ですね。矢島御所は今の滋賀県守山市矢島町で跡地には自治会館と石碑が建っています。和田城との距離は40kmくらいです。足利義昭とそれを守る細川藤孝の軍そして光秀の軍が滞在していたと思われます。しかし事件が起きます。

ガラシャ

事件ですか!?

憲三郎先生

足利義秋に味方をしていた田中氏と朽木氏が襲われたと連絡が入ります。ちなみにこの二人は細川藤孝と同じ元幕府御家人でした。幕府御家人とは幕府奉公衆を含めた幕府の元で働く人々を総称して呼んだものです。

ガラシャ

大変です。貴重な味方なのに・・助けにいける距離なんですか?

憲三郎先生

田中氏の居城田中城と朽木氏の居城朽木谷城は琵琶湖の西北でした。

ガラシャ

琵琶湖のほぼ反対側となると・・・結構な距離です。

憲三郎先生

そうですね。当時は馬か徒歩ですから近くはないですね。かといって見捨てる訳にもいきません。

ガラシャ

どうしたんですか?

憲三郎先生

足利義秋は光秀を援軍に行かせます。

ガラシャ

え?一緒には行かなかったんですか?越前から来た光秀を?縁があったからといって会ったばかりですよね?

憲三郎先生

史料には後に功績を曽我助乗に報告したことが残っています。曽我助乗も元幕府奉公衆です。

ガラシャ

誰かが一緒に行ったなら光秀が報告するのはおかしいということですか?でも確かに。・・・ん?このときもう細川藤孝の部下だったんですか?

憲三郎先生

時系列は史料に残っていませんが、細川藤孝の部下なら細川藤孝に報告した。と記録が残るはずです。

ガラシャ

ん~そうなると曽我助乗の部下ですか?

憲三郎先生

ところが曽我助乗の部下だったという史料もないのでなんともいえないところですね。はっきりしているのはこの戦の功績を曽我助乗に報告したということだけです。

ガラシャ

史料の発見を祈るばかりですが、その報告はどんな報告だったんですか?

憲三郎先生

それは次回詳しく説明しましょう。

ガラシャ

気になります!

”朝倉義景の命令で足利義秋に派遣された光秀は
いきなり戦いに行きました”