第11話 足利義秋との出会い
9話で越前に10年住んだといっていましたが、その後はまたどこかに移動したんですか?
光秀は近江へ派遣されることになります。
派遣?何があったのでしょう?
光秀が越前で黒坂備中守に仕えて9年後の1565年(永禄8年)に時の将軍足利義輝が三好勢に負けて殺されます。
将軍が殺される!?一大事です。三好勢?家でも氏でもありません。なんでそんなことになったんですか?
事の経緯は長くなるのでまた今度にしましょう。三好の人々と思っていたら大丈夫です。光秀の人生がまた動くのはこの後です。
気になりますが、光秀の活躍教えてください!!
足利義輝が殺されると次の将軍を選ばなくてはなりません。三好勢は都合よく動かせる足利氏の足利義栄を四国から連れだして将軍にしようとしていました。他の足利氏が将軍職につこうとするのはのは困ります。しかし足利義輝には奈良で僧をしている覚慶という弟がいました。
お坊さんでも将軍になれるんですか?
還俗といって俗世に戻ってくれば将軍になれます。
と、いうことは足利義輝を討った三好勢が次に狙うのは覚慶ですね。
その通り。覚慶も危機を感じて奈良にある一乗院から近江の和田惟政の元まで逃げて還俗し、矢島御所にて足利義秋となります。
奈良から近江、、結構距離がある気がしますが一人で逃げたんですか?
その辺の経緯が少し複雑で史料には「覚慶(後の義昭)、朝倉義景の調略により奈良一乗院を脱出し甲賀和田惟政の元に逃れる」とあります。
奈良を脱出するときに細川藤孝が一緒だったという史料もあります。
ん?えーっと?
朝倉義景がなにか仕掛けをして、幕府奉公衆の細川藤孝の軍が次期将軍候補の覚慶を迎えに来て一緒に逃げた。という解釈が今のところは妥当でしょうね。研究が進めばなにかわかるかもしれません。
足利義輝に仕えていた幕府奉公衆が主君が討たれたので後継者を迎えに来たということですね。このあと足利義秋はどうしたら将軍になれるんですか?
将軍になるには天皇から征夷大将軍という役職に任命されると将軍になれます。しかしそのためには周りを納得させるために天皇のいる京都を守護する必要があります。
京都を守護する?今は誰が守護してるんですか?
三好勢ですね。
え?すでに!?では足利義栄はもう将軍になってしまったんですか?
しかし、実は現将軍の足利義栄も上洛できずにいました。
どうしてですか?
このとき三好勢は内部分裂中でスムーズに上洛とはいかなかったようです。
なるほど、三好勢の中でも方針が固まっていなかったんですね。
でもすでに足利義栄(三好勢)VS足利義秋(細川)の戦いが始まっていると。足利義秋の作戦を教えてください。
義秋は各武将に向けて文を出します。内容としては近江に身を寄せているので京都に連れていってほしいというものでした。
三好勢から守ってくれる人をさがして全国の各武将に救援要請を出したんですね。誰か助けてくれたのでしょうか?
越前の朝倉氏が助けてくれました。
朝倉氏は奈良から逃げ出すときに調略?してくれた人ですね?こんどはどう助けてくれたんでしょう?
越前でひとまず匿ってくれるとのことでした。ただ、義秋はなんとかして越前まで行かねばなりません。
なるほど、迎えにはいけませんよ。ということですね。それを飲むということは足利義秋も厳しい状況だったのが察せますね・・・
しかし朝倉氏も全く何もしなかったわけではありません。
朝倉氏はどんな行動をとったんですか?
黒坂備中守に付けていた光秀を足利義秋に送り込みます。
ご先祖様ここで登場!使者とか案内人とかそうゆう役回りでしょうか。でもなんで光秀だったんですか?
なぜか。という理由を明確に記した史料はありません。しかし直属の家臣ではない光秀を行かせたということは何かしら理由はあったでしょう。
光秀は足利義秋と関係がある人だったのでしょうか?
直接の接点というより縁があると言う方が正しいかもしれません。
どんな縁ですか?
光秀の曾祖父の玄宣が幕府の奉公衆だったのは2話でお勉強しましたが覚えてますか?
覚えてます!光秀のひいおじいさんとおじいさんの兄弟が幕府の奉公衆だったんですよね!
その時仕えていた将軍は誰だったか覚えていますか?
えっと、たしか足利義澄派と足利義材派で戦ってて・・・足利義澄だったと思います!
そうですね。実は足利義秋は足利義澄の孫です。そして細川家も代々幕府奉公衆でした。
細川家と明智家は幕府奉公衆の中ではどんな関係だったのでしょうか?同僚ですか?上司部下ですか?
簡単に言うと部署が違ったので直属の部下ということではありませんが部署としての上下関係があったので大枠でいえば細川家が上司、明智家は部下になりますね。詳しくはまたの機会に。
なるほど、確かに全く関係のない人を送り込むよりは配慮がある気がしますね。
と、いうわけで
光秀、近江へ出発です!