Q.姉川の戦いはどうでしたか?

A.お答えします。

光秀が参陣したと明記した記録は残っていませんが、姉川の合戦の直前に光秀が出陣した記録があるので、参陣していたとみられます。

解説.

永禄十三年・元亀元年(1570年)信長は手筒山城、金ヶ崎城と攻め進みますが、浅井長政の裏切りに会い、四月三十日に京都へ戻ります(朽木越え)。その後、信長は六月十九日に小谷城攻めに出陣します(姉川の戦い)。
光秀は、五月九日に、曾我助乗に出陣する旨を伝えていますので、光秀も幕府軍として姉川の戦いに出陣していたものと考えられます。みつひでDBの史料年表に記録があります(記事はこちらから)。
また、『信長公記』に、この戦いの記述に光秀の名前が書かれていないのは、光秀が幕府軍であり、信長の家臣ではなかったからとみられます。

参考文献.

【光秀からの遺言】

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