Q.石山合戦はどうでしたか?

A.お答えします。

光秀は幕府軍でも、信長軍でも出陣しています。

解説.

本願寺との戦いは、元亀元年から天正八年までの長きにわたる戦いでした。元亀元年(1570年)には、光秀は幕府軍として摂津へ出陣。天正四年(1576)の戦いには信長軍として出兵しています。

天正四年の戦いは信長軍として出陣し、さんざんだったようです。戦いでは、光秀は佐久間信栄(信盛の嫡男)らと天王寺砦に立て籠り、本願寺勢に包囲されましたが、信長自身の奮戦によって勝利を収めました。また、光秀自身は、陣中で病を得て帰京し、名医、曲直瀬道三の治療を受けています。赤痢で死にそうだったようです。また、その看病からか正室が亡くなるなど、大変な思いをしたようです。

参考文献.

【公記】【兼一】【西教】

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