Q.斎藤道三に仕えていましたか?

A.お答えします。

斎藤道三に仕えていたとの通説がありますが、斎藤道三には仕えていません。この説は「明智軍記」が創作したものを司馬遼太郎「国盗り物語」が踏襲したため世の中に広まったものです。

解説.

光秀の父の光兼は、美濃の守護土岐政房の嫡男・頼武を支える中核を担っていましたが、次男・頼芸との間には、後継者をめぐる争いが起こっていました。頼武は小守護代・長井一族に担がれた頼芸に敗れて没し、頼芸が守護職に就きました。光秀は敗れた頼武の遺児頼純に仕えることになります。頼純は、頼芸や、斎藤道三と再三にわたり戦いましたが、最終的には道三に毒殺されてしまいます。斎藤道三は、主君ではなく、主君の敵だったのです。

参考文献.

【光秀からの遺言】

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