Q.明智左馬助とはどんな人物ですか?

A.お答えします。

光秀が最も信頼していた家臣の一人であり、光秀の娘婿でした。

解説.

記録には沢山の名前ででてきます。『明智軍記』に『明智左馬之助光春』と書かれて有名になりました。天正八年九月に坂本で光秀、宗及、明智少兵衛、斎藤利三と茶会を共にした「三宅弥平次」、天正九年四月に福知山で宗及に七五三膳を振る舞った「明智弥平次」、『惟任退治記』に書かれた本能寺討ち入りの五人の将のうちの「明智彌平次光遠」、『信長公記』に書かれた謀反の談合をした四人の重臣の内の「明智左馬之助」、天正十年六月の秀吉書状に書かれた坂本城で切腹した「明智彌平次」、『日々記』、『兼見卿記』に同年四月に父親が捕らえられて磔にされたと書かれた「明智秀満」が、いずれもこの人物です。

参考文献.

【光秀からの遺言】

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