井伊美術館 訪問レポート

明智継承会 事務局です。

本日は、今月15日に明智代表と広報 河野が訪問いたしました、井伊美術館の訪問レポートをアップいたします。
訪問の目的としましては、当会よりお貸出しを実施しております「伝明智光秀公御兜」の時代鑑定を、井伊美術館 井伊館長に依頼するためでした。
一体、どんな鑑定結果になったのか・・・気になる続きは、明智代表からのレポートをどうぞご覧ください!

<近江山田家伝来品「伝明智光秀公御兜」鑑定報告>

明智継承会 明智代表の著書『明智家の末裔たち 本能寺からはじまった闘いの記憶』(河出書房新社2019年12月)の第五章「現代に続く子孫の捜査」に記しました通り、近江山田家には「光秀滅亡後に、光秀の子が小谷へ逃れてきて山田家の養子になった」という伝承と共に、代々門外不出とされてきた伝承品が数々あります。
その内のひとつである「伝明智光秀公御兜」は三鈷剣前立て六十二間鉄錆地の立派な兜です。
(どのようなものか一般社団法人明智継承会のホームページをご覧ください。https://akechikai.or.jp/rent/)

この兜が光秀公存命中に製作されたものか否か気になるところですが、比較対比するのに絶好の兜が、京都東山区にある井伊美術館に保管されています。(井伊美術館についてはホームページをご覧ください。https://www.ii-museum.jp/

この兜は、光秀公家臣の木俣守勝が天正九年に徳川家康のもとへ帰参する際に、光秀公が守勝に与えたものであることが、当時の書状によって裏付けられています。そして、伝明智光秀公御兜と同様の三鈷剣前立て六十二間鉄錆地の兜です。

そこで、明智代表が2020年10月に井伊美術館に「伝明智光秀公御兜」を持参して、時代鑑定を館長の井伊達夫様にお願いいたしました。井伊美術館には井伊家の秘蔵品である甲冑・刀剣などの古武具類が大量に保管されています。

館長にはお忙しいいところをご対応いただき、丁寧に鑑定していただきました。その鑑定結果は以下の通りです。

伝明智光秀公御兜 鑑定結果

兜は錣・吹返等の装束を完備した62間の筋兜です。
兜鉢は受張が施されているので内部の詳細が不明ですが、後方がややふくらんでわずかに前代の阿古陀兜風をのこしています。
錣や吹返等、兜を構成する装束は江戸時代ですが、兜鉢のみは地鉄の錆色が多少薄いのが気がかりですが、少し時代が古いかも知れません。
現状では兜鉢裏の状況が確認できないため、それ以上は不明です。
この兜は明智光秀ゆかりのものと伝えられ、吹返に桔梗がすえられていますが、吹返は江戸のものゆえ後補ということでしょう。
兜鉢は江戸時代以前の可能性が高いですが、前書の通り、内部未見のため断言できません。
しかし時代的雰囲気のある良い兜と思われます。
伝世文書、古記録の附帯がないのが残念ですが、この兜は光秀所用の伝承と歴史のロマンを含めて、真否はともかく大切に保存されて然るべきものと思います。

井伊美術館は建仁寺(写真1)に隣接し、縁結び/縁切り祈願で有名な安井金毘羅宮(写真2)の傍にあり、美術館の門や建物(写真3)自体が趣のある文化財です。古武具や井伊家にご関心ある方は是非訪れてみてください。

写真1:建仁寺

写真2:安井金毘羅宮 (中央の白い小山のようなものは縁結び/縁切りの祈願文が張りけられた祈願石)

写真3:井伊美術館正門

以上、明智代表からの訪問・鑑定レポートでした。井伊館長様、ご協力を賜り有難うございました!